【参加者レポート】2024平和行動 in 長崎
2024年8月8日、9日の2日間、連合福井を代表して基幹労連の2名に平和行動in長崎に参加していただきました。
以下、参加者2名分のレポート全文と写真を掲載いたします。
2024平和行動in長崎 参加報告
基幹労連 UACJ労組
刀根 正徳
山口 聡太
今年の平和行動は、8月8日から9日の2日間で開催され全国各地から長崎市にある平和公園に多くの参加者が結集し行われました。今回連合福井からは刀根、山口の2人が参加し、全国の参加者と共に「核兵器の廃絶と恒久平和」に向けた思いを一つにしました。
行程初日の8日に芦原温泉駅から敦賀駅・京都駅・博多駅を経由し7時間半をかけて長崎入り、夕方からは長崎県立総合体育館にて開催された「被爆79年 連合2024平和ナガサキ集会」に全国の多くの仲間と共に集会に参加しました。集会の冒頭、主催者代表の高藤義弘連合長崎会長が挨拶し、「私たちの子や孫の世代でも安心して暮らせる争いのない世界を作ることに力を結集する時ではないだろうか。世界各国で紛争が続く中で、残念ながら核兵器使用の脅威はすぐそこまで来ている。79年前の実相に触れたことを地域や職場、家庭で広めていただきたい。」と述べられました。

【長崎県立体育館】

【平和集会 演説】
そして被爆者の訴えとして、長崎平和推進協会継承部会の築城昭平様から、当時の被爆状況をお話しいただきました。築城さんの「夜勤明けでたまたま布団をかぶって寝ていたため全身に大火傷をせずに済んだものの、布団から出ていた手は一瞬で真赤になってしまった。」や、「直後は何百、何千もの爆弾が落とされたのだと、一発の爆弾だとは思わなかった。」とのお話が原子爆弾の威力の膨大さを感じさせられ、とても印象に残っております。また、「核兵器がある以上、世界は本当の平和とは言えない。」とも訴えられていました。
他に印象が強かったのは、鈴木志朗長崎市長の、「一日も早い核兵器のない世界の実現に向けては、私たち市民社会が力をあわせて世論の大きなうねりを作っていくことが重要になる。」という言葉です。私も例年であれば、テレビ越しに見るだけであった長崎の平和祈念式典であり、何となく通年の行事として過ぎていくものになっていたと思います。その土地に住む者だけでなく各地で力を合わせ、忘れず継承し次の世代につなげていく重要性を身にしみて感じました。
その他予定された方々の挨拶がされ、最後に核兵器の廃絶と恒久平和を願って心を一つにする力強い団結ガンバローで集会が締めくくられました。

【平和記念公園 碑石】
行程最終日である9日は、平和公園にてPEACE WALKが開催されました。原子爆弾落下中心地碑からスタートし、連合長崎青年委員会及び女性委員会の方々に「ピースガイド」として案内をいただきました。原子爆弾落下中心地では、被爆当時の地層や浦上天主堂遺壁、松山町防空壕の案内を受けました。被爆当時の地層は、当時の生活がうかがえる衣類や茶わんなどの日用生活品などの遺品が目視でき、人骨も多く出土したとお聞きし、松山町防空壕では中にいた人は、原爆落下直後はわずかながら生き残った方もいたものの、やけどや放射能によって重症を負い、治療を受けることができないまま亡くなったとお聞きしました。その後、平和公園内に入り、世界各国から寄贈された平和を願う像や平和の泉の案内を頂き、最後に平和記念像の前でPEACE WALKを終えました。平和公園は当時長崎刑務所浦上刑務支所として犯罪者が収容されていた爆心地に最も近い公共建物であり、火球の直下にあったため、収容者、職員含め全員がほぼ即死であり、建物もほぼ全壊全焼であったとお聞きしたことが、印象に残っております。

【PIACE WARK受付ブース】

【防空壕前での説明】

【浦上天主堂遺壁】
最後の行程として、PEACE WALKから時間を空け、19時から万灯流しに参加しました。1949年より犠牲者の慰霊と恒久平和を願い、浦上川に万灯を流したのが始まりとのことで、私たちも万灯を受け取り今回の平和行動で改めて感じた思いや願いを言葉にこめ、万灯を置き会場を後に帰路につきました。
今回参加したことで改めて「原子爆弾がもたらす悲惨な姿」や「唯一の被爆国であること」、「今もなお原子爆弾の脅威は続いていること」について実際に自身の目で見る機会を頂いたことで、伝え続けていく必要性・重要性を実感し、執行部や自職場の組合員など身近なところからでも忘れないよう努力を続ける必要があると考えさせられました。今回参加の機会を与えてくださった連合福井と組織に感謝したいと思います。本当にありがとうございました。

【平和記念像】


【浦上川万灯流し】

